統合の現場で何が起きているのか
―M&A従業員の本音―
統合の現場で何が起きているのか ―M&A従業員の本音―
はじめに: なぜ従業員目線のM&Aを語るのか
M&Aを考える時、その視点は主に経営陣の戦略的意図やシナジー効果といった財務的観点です。
売り手の創業者利益や経営再建、買い手の事業や市場シェアの拡大、新規参入など――確かにこれらは重要な視点です。
しかし、M&Aの成否を最終的に決定づけるのは、実際に現場で働く従業員たちの行動と意欲なのです。
どんなに理論上優れた統合計画があっても、従業員が離職し、モチベーションが低下し、組織文化が崩壊すれば、その価値は大きく下がります。
逆に、従業員が統合のプロセスに前向きに参加し、新しい組織の一員として能力を発揮すれば、当初の想定を超える成果を生み出すことも可能です。
人事専門のコンサルティング会社であるクレイア・コンサルティングが2025年9月に実施した最新調査によると、「買収された会社で働いている(いた)正社員約400名」を対象としたアンケートで、M&A発表時に4割もの従業員が転職を検討し、実際に3年以内に4人に1人(25%)が退職しているという衝撃的な結果が明らかになりました。
これは同社が10年前の2016年に実施した調査(3年以内の退職率20%)と比較しても、状況が悪化していることを示しています。
M&A発表の瞬間から統合完了まで、現場では何が起きているのか。
そして、成功企業は従業員とどう向き合ってきたのか。
実際の調査データと事例を交えながら、従業員目線から見たM&Aの成功の秘訣をご紹介します。
1. M&A発表時の従業員心理状態
1-1. 典型的な反応パターン~不安・期待・抵抗感~
M&Aの発表は、多くの従業員にとって晴天の霹靂です。経営層が数ヶ月から数年かけて準備してきた案件が、従業員には突然告げられます。
この瞬間、組織には様々な感情が渦巻きます。
1-1-1. 不安
最も一般的な反応は「不安」です。
自分の雇用は継続されるのか、給与や福利厚生はどうなるのか、これまで築いてきたキャリアパスは維持されるのか。
特に買収された側の企業の従業員は、自社の立場が弱くなることへの懸念を強く抱きます。
リストラの可能性、重要ポジションが買収側に奪われるのではないか、といった具体的な不安が頭をよぎります。
最新のクレイア・コンサルティングの調査では、M&A発表時に従業員が最も不安に感じた項目として
「会社や事業の方向性がどうなるのか」
「自分の給与・賞与がどうなるか」
が上位を占めています。
さらに注目すべきは、M&A発表後1年以内に約1割の従業員が退職し、3年を通算すると4人に1人が職場を去っているという事実です。
これらの数字は、従業員の不安が具体的で切実なものであること、そしてその不安が最後まで解消されなかったことを物語っています。

1-1-2. 期待
一方で、「期待」を抱く従業員も少なくありません。
特に経営不振に陥っていた企業が果たせなかった昇給や安定的な賞与、より大きなリソースへのアクセス、新しいキャリア機会の到来として前向きに捉える声もあります。
新しい技術やノウハウを学べるチャンス、より大きなプロジェクトに関われる可能性に心を躍らせる人材もいます。
1-1-3. 抵抗感
長年働いてきた従業員ほど「抵抗感」を示すことが多いです。
企業文化が変わる、慣れ親しんだやり方を変えなければならない、場合によっては愛着のある社名が消える。
これらは単なる制度変更ではなく、アイデンティティの喪失として感じられます。
中小企業では特に「この経営者の元だから頑張れる」と経営者を慕う従業員も多く、「経営者が変わるなら辞める」と自主退職を申し出るケースも珍しくありません。
1-2. 実例に見る発表時の混乱
【建設業の事例】
建設業の株式会社森長組が同じく建設業の株式会社栗田建設を買収した事例では、当初はノウハウ不足やコミュニケーション不足によってスムーズには進みませんでした。
それはPMI(統合後のプロセス)が本格化するまでに解消しておくべき従業員の不安や迷いに気づけなかったことによるものです。
従業員の不安は表面化しにくいものです。
経営者同士が「雇用を守る」と合意していても、M&A発表後に、実際に働く従業員は「退職すべきか」「会社の将来はどうなるのか」と深刻な不安を内に秘めていることが多いのです。
森長組のケースでは、専門家が介入することで従業員の本音を引き出し、信頼関係構築に向けた取り組みを開始できました。
この丁寧な対応が、最終的には相互理解の深化と当事者意識の醸成につながりました。
【保育園事業の事例】
IT企業が保育園事業を買収した際、売り手側から「従業員の雇用継続」と「正社員化」が強い条件として提示されました。
保育という対人サービスでは、従業員一人ひとりの存在が事業の根幹です。
買収側はこの条件に同意する形で取引を進めましたが、従業員は「雇用の維持」に対する安心感より、これまでのキャリアが活かせるのか文化の大幅な変更などへの不安感が大きく、統合後の運営には特別な配慮と入念な説明や説得に時間がかかりました。
2. 被買収側の従業員意識がもたらす行動
2-1. 「負けた会社」というネガティブ意識

2-1-1. プライドの傷と喪失感から反発
買収された側の企業の従業員が最初に直面するのは、「負けた」という感覚です。
市場競争に敗れ、独立を維持できなかった。
この事実は、特に長年その会社で働いてきた従業員にとって、深い喪失感をもたらします。「自分たちの会社は劣っていた」という烙印を押されたような気持ちになる人も少なくありません。
この心理は、統合プロセスにおいて様々な形で表面化します。
買収側の提案に対する過剰な反発、「自分たちのやり方の方が優れている」という主張、新しいシステムや制度への消極的な態度。これらは単なる抵抗ではなく、傷ついたプライドを守ろうとする防衛反応なのです。
2-1-2. 未来を描けず離職
買収された企業の従業員にとって、もう一つの大きな懸念はキャリアの先行きです。
これまで描いていた昇進の道筋が見えなくなり、ポジションが買収側の人材で埋められるのではないかという不安が広がります。
特に中間管理職層では、組織の重複解消に伴うポジションの削減が現実味を帯びるため、危機感はより深刻です。
M&Aによって企業の体制や規模が大きく変化した場合、従業員の評価方法や昇進の基準が変わることがあります。
「新しい環境で、これまで思い描いていた通りに昇給や昇格が可能か」という観点は、キャリアアップに意欲的な従業員や扶養家族のいる従業員にとっては特に重要な問題です。ここを不透明なままにしておくことで、優秀な人材の離職につながる大きな要因となっています。
2-2. 新しい未来への期待というポジティブ意識
2-2-1. 新しいリソースへのアクセスがモチベーションを上げる
被買収企業の従業員すべてがネガティブな感情を抱くわけではありません。
特に、資金不足や技術的制約に悩まされていた企業の従業員は、より大きな組織のリソースにアクセスできることを歓迎します。
悩みの一例として:
・予算の制約から諦めていたプロジェクトが実現可能になる
・最新の設備や技術を使える
・海外展開のチャンスが生まれる
・ぎりぎりの人員で行っていたため、希望職種へ着くことはかなわなかった
・人材不足により常に余裕のない働き方をしていた
――こうした悩みの解消につながるという具体的なメリットは、従業員のモチベーションを高める要因となります。
【建設業の事例】
建設業の西出興業が同業他社を買収した事例では、人員不足の解消や自社部門の強化という明確な目的がありました。
支援機関が第三者として介入することで双方のニーズが明確化され、合意に至るプロセスがスムーズに進行しました。
買収される側の従業員にとっても、より安定した経営基盤のもとで働けることが大きな安心材料となったのです。
2-2-2. 経営不振からの脱却による精神的負担解消

経営不振に陥っていた企業では、M&Aが「救済」として受け止められることもあります。リストラの恐怖、給与カットの不安、会社存続への疑念――こうした精神的負担から解放されます。
これまで、常に心のどこかで、会社が将来的に持ちこたえられなかったらという思いがあり、暇さえあると転職サイトを覗いていた従業員が、今後は資格取得など意識が前に向き出したという話も耳にします。
3. 買収側の従業員意識の持ち方も重要
3-1. 「征服者」意識は負のシナジー効果を生む
3-1-1. 「征服者」意識の弊害
買収側の従業員心理は、しばしば見落とされます。
それは、「勝った」側なのだから問題ないだろう、という思い込みがあるからです。
しかし実際には、買収側にも独自の課題が存在します。
最も問題となるのは「征服者意識」です。
「自分たちの方が優れている」「買収したのだから従うべきだ」という態度は、統合を阻害する最大の要因となります。
この傲慢さは、被買収側の優れた点を見逃し、有能な人材を遠ざけ、本来得られるはずのシナジーが失われる=負のシナジー効果を生む場合もあります。
買収した側の会社の方が給与水準が高く、ビジネス展開にも勢いがある一方、買収された側の会社はビジネスに勢いがなく給与水準も低い場合があります。
すると、買収した側の従業員が「立場が強い存在である」と意識して、買収された側の従業員に対して嫌な仕事を押し付けたり、無理なノルマを課したりといった嫌がらせを行ってしまうケースが報告されています。
買収された側は立場が弱いと感じて委縮してしまい、本来の能力を発揮できなくなるのです。
その結果、買収された側の企業の従業員が意欲をなくし退社する結果をもたらす場合もあります。
3-1-2. 統合業務の負担増
買収側の従業員が直面するもう一つの現実は、統合業務の膨大な負担です。
通常業務に加えて、システム統合、制度調整、人材の受け入れ準備など、新たなタスクが山積します。特に管理部門や情報システム部門では、二重三重の業務負荷に苦しむことになります。
さらに、新しく加わった同僚との関係構築も求められます。
買収された側の警戒心をほぐし、信頼関係を築き、チームとして機能させる――これは想像以上に神経を使う作業です。
「面倒な仕事が増えた」という不満が、買収側の従業員の間でくすぶることも珍しくありません。
退職者が増えると、残された社員に対する負荷が増大し、さらにモチベーションの低下や追加の退職者を生むという悪循環に陥る可能性もあります。
3-2. 警戒心と距離感
買収側の従業員の中には、新しく加わった同僚に対して警戒心を抱く者もいます。
それは、「自分のポジションを脅かされるのではないか」という不安です。
特に、買収された側の企業が特定の領域で高い専門性を持っている場合、その分野の既存社員は自分の立場が相対的に低下することへの懸念を感じます。
この心理的な距離感が、統合後の組織に見えない壁を作り出します。
形式的には一つの組織になっても、「元A社」「元B社」という区分が根強く残り、真の意味での統合が進みません。
こうした状況を打破するには、経営層の強いリーダーシップと、現場レベルでの地道な交流促進が不可欠となります。
無用な優劣意識を生じさせないためには、パワハラ防止関連法や労働法など関連法令を遵守し、多様性があり安心して働くことができる職場環境づくりが大切です。
4. 統合プロセスでの混乱と従業員の葛藤
4-1. システム・制度統合期の混乱
4-1-1. 給与体系の変更
統合プロセスで最も従業員の関心を集めるのが、給与体系の変更です。
基本給の決定方法、賞与の算定基準、手当の種類と金額、退職金の有無――これらが変わることは、単なる数字の問題ではなく、生活設計に直結する重大事です。
前述の調査でも、57%の従業員が「自分の給与・賞与がどうなるか」を最大の不安要素として挙げていました。
もしも、買収企業より買収された側の企業の給与の方が高かった場合、買収後、給与や賞与が低くなる可能性があります。
M&A実務の現場では、給料や福利厚生などの雇用条件が悪化すると、多くの場合に従業員の退職が発生することが知られています。
就業時間や給与の引き下げ、退職金の減額・廃止といった待遇の悪化に関する不安が募るのは当然です。買い手企業は、売り手側従業員に対して適切な評価や処遇を行い、統合過程で課題が生じないように努める必要があります。
4-1-2. 人事評価制度の統一

人事評価制度の違いも、大きな摩擦を生みます。年功序列と成果主義、相対評価と絶対評価、評価項目の違い――これらが統一されることで、従業員は新たなルールに適応しなければなりません。
これまで高く評価されていた行動が、新制度では評価されないかもしれません。
逆に、軽視されていた要素が重視されるようになるかもしれません。
例えば、従来は「顧客との信頼関係構築」を重視する評価だったのが、統合後は「売上目標達成率」が最重要指標となったため、長年地道に顧客との関係を築いてきたベテラン社員が「自分のやり方が否定された」と感じ、モチベーションを失ったケースが報告されています。
評価基準の変更は、従業員のアイデンティティにも関わる深刻な問題なのです。
これについても、統合当初に充分な話し合いを持つ必要があります。
4-1-3. ITシステムの切り替え
日々の業務に直接影響するのが、ITシステムの統合です。
メールシステム、業務管理ツール、コミュニケーションプラットフォーム――これら全てが変更されることで、従業員の業務効率は一時的に大きく低下します。
慣れ親しんだシステムから新しいシステムへの移行は、想像以上のストレスをもたらします。
特に、複数のシステムが並行稼働する移行期間は混乱が極まります。
どちらのシステムを使うべきか、データはどこにあるのか、誰に聞けばいいのか――こうした基本的なことさえ不明確になり、業務の停滞を招きます。
M&A後のシステム統合がうまくいかない背景には、経営陣に課題がある可能性も指摘されています。
経営陣に情報システムへの知見がない場合、営業や人事面での統合ばかり重視してシステム統合を軽視しがちです。
しかし現代のビジネスでは、クラウドシステムが業務の中核を担っており、その統合は従業員の日常業務に直結する重要課題なのです。
4-2. 文化統合期の衝突
4-2-1. 会議文化の違い
企業文化の違いは、日常の些細な場面で顕在化します。
典型的なのが会議の進め方です。
ある企業では事前に資料を読み込み、会議では議論に集中します。
別の企業では会議の場で初めて資料を見て、その場で詳細を説明します。
前者の文化で育った従業員は後者のやり方を「準備不足」と感じ、後者の文化の従業員は前者を「議論が硬直的」と感じます。
意思決定のスピード感も大きく異なります。
迅速な決断を重視する企業と、慎重な検討を重ねる企業が統合すれば、前者は「決まらない」とイライラし、後者は「拙速すぎる」と不安を覚えます。
どちらが正しいという問題ではなく、異なる価値観の衝突なのです。
4-2-2. コミュニケーションスタイルの差
コミュニケーションスタイルの違いも、日々の業務に摩擦を生みます。
直接的な表現を好む文化と、婉曲的な表現を重んじる文化。
メールでのやり取りを基本とする文化と、対面での会話を重視する文化。
報告・連絡・相談を細かく求める文化と、結果を重視する文化。
職場の企業方針や運営方法、環境などが急激に変化することは、従業員にとって大きなストレスになり得ます。
特に中小企業では経営者と従業員の距離が近い場合が多く、「経営者の交代=会社の方向性が変わる」という印象を持ちやすく、精神的な動揺も大きくなります。
また、会社が統合されたことを「経営不振」と誤って捉える社員もおり、会社の将来性に対する不信感が離職意向を強めることもあるのです。
5. 成功企業の従業員ケア
5-1. 効果的だった施策
5-1-1. 透明性の高いコミュニケーション

成功したM&Aに共通するのは、透明性の高いコミュニケーションです。
何が決まっていて、何がまだ決まっていないのか。
統合のタイムライン、組織構造の変更、制度の調整方針――これらを可能な限り早期に、率直に伝えることが、従業員の不安を和らげます。
2025年の最新調査でも、M&A後の雇用や処遇について、事前に丁寧な説明を受けていたケースでは、社員の短期離職が抑えられることが明らかになっています。
これは特にM&A発表後1年以内の離職を防ぐ効果が顕著です。
一方で、発表から1年以上経過後に辞める社員には説明効果が及びにくいことも判明しており、継続的なヒアリングなどの重要性が示されています。
特にそれは可能な限りトップまたはトップに近い経営人が直接の聞き取りを行うことで、より正確な状況を把握することが可能となります。
重要なのは、悪いニュースも隠さないことです。
リストラが避けられないなら、その事実を早めに伝え、対象となる従業員への支援策も同時に示します。
不確実性を放置することが最も従業員を不安にさせます。
たとえ厳しい内容であっても、明確な情報提供の方が従業員の信頼を得られます。
従業員の不安を知り、それを軽減するためには、従業員の声を知るための環境づくり(面談によるヒアリング、アンケート調査など)が必要です。
その他、相手先の企業と共同で説明会を行うことなども有効です。
経営者から見たM&Aは会社全体を見渡した経営戦略ですが、従業員側から見たM&Aは自分の処遇がどうなるかという個人的な問題です。
この視点の違いを理解し、丁寧に対応することが成功の鍵となります。
5-1-2. キャリアパスの早期明示と綿密な面談の必要性
従業員が最も知りたいのは、「自分のキャリアはどうなるのか」です。
統合後の組織図、ポジションの定義、昇進の基準、必要なスキル――これらを早期に示すことで、従業員は自分の将来を見通せるようになります。
【旅行代理店の事例】
買収された側の企業のキーパーソンがこれまで自身の専門であった教育旅行は、M&A後は廃止されるという話を聞いたとき、水面下では即座に転職先を探し始めました。
買収会社は、利益率の低い教育旅行よりも、円安を背景に高い利益率を獲得しやすいインバウンドの強化を図ろうと考えていたからです。
ところが、買収会社は実際にキーパーソンと綿密な面談をしてみて考えを180度変更したのです。
それまでどのような方法で業務が行われてきたのか、販売網を広げてきたのか、また、財務データでは見えなかった教育旅行事業の行うことのメリットが見えて来たのです。
そして、なんと、その後も教育旅行の仲介事業を継続することになり、それどころかそのための新しいシステムまで開発しました。
この事例でもわかるように、キャリアパスの一方的な提示だけではなく、綿密な面談を行い従業員のスキルや業務内容の把握など、双方で確認することも重要です。
また、口頭だけでなく書面で保証する、Q&A形式の社内資料を配布するなど、具体的な手段を通じて信頼性を高めるように工夫すると良いでしょう。
5-1-3. 文化尊重の姿勢
成功企業は、買収先の文化を一方的に否定しません。
むしろ、その企業が培ってきた強みや独自性を尊重し、それを統合後の組織に活かそうとします。
さらに、2025年の最新調査では、被買収企業の従業員がM&Aを前向きに捉える上で、「実力に応じた評価や処遇の公正さ」「適材適所の人材配置」を実感していることが極めて重要であることが確認されました。
残留した社員の約半数がM&Aを「良い出来事だった」と捉えていますが、その背景には公正な評価・処遇と人材交流・適材適所な配置があるのです。
運営方法などを変更するにあたっても、従来の体制を維持しつつ、ゆっくりと少しずつ進めていくことが推奨されます。急激な変化は従業員に大きなストレスを与え、モチベーション低下や退職につながりかねません。
6. 失敗事例から見る教訓
6-1. コミュニケーション不足の代償
失敗したM&Aの多くは、コミュニケーション不足が原因です。
経営層が戦略を描き、計画を立てても、それが現場に伝わらなければ意味がありません。
従業員は噂や憶測に振り回され、不安が増幅し、離職や生産性低下を招きます。
【コミュニケーション不足の失敗事例】
M&A直後に経営陣が統合計画の詳細を現場にほとんど伝えず、「いずれ発表する」という姿勢で情報を出し渋った結果、従業員の間では「大量リストラがあるらしい」「給与が大幅にカットされる」といった根拠のない噂が広まりました。
実際にはそのような計画はなかったのですが、不安に駆られた優秀な社員が次々と転職し、買収の目的だったノウハウの継承が困難になってしまいました。
ほとんどの従業員は経営に関わらないため、M&A自体がどういうものか理解していないことが多いのです。
M&Aとは「会社の乗っ取り」だと思い込んでいる場合もあります。
M&Aと聞くと、従業員は会社に不信感を抱き、給与や待遇、解雇、会社の倒産など、さまざまな不安を抱えることになります。
公表タイミングを間違えると、このような不安感から多くの従業員が離職してしまうことにつながりかねないのです。
6-2. 一方的な制度押し付けの失敗
買収側が自社の制度を一方的に押し付けることも、失敗の大きな要因となります。「我々のやり方が正しい」という姿勢は、被買収側の優れた実践を見逃し、有能な人材を遠ざけます。
【制度押し付けの失敗事例】
買収側が自社の詳細な業務マニュアルを買収された側の企業の従業員に適用しようとしました。
しかし、買収された会社は少人数ゆえの柔軟な対応が強みで、細かいマニュアルに縛られると機動力が失われます。
結果として、優秀な社員が次々と退職し、買収の目的だった地域密着型営業のノウハウが失われてしまいました。
一部の従業員が退職すると、それをきっかけに他の社員にも動揺が広がり、連鎖的な離職が起きることがあります。
特に、信頼されていた上司やベテラン社員が去った場合、その影響は職場全体に波及し、「自分も転職した方が良いのでは」と考える人が増える傾向があります。
業務マニュアルを共有する場合でも、その目的やメリットなど充分な説明をするなどの配慮が必要です。
6-3. 不適切な処遇でキーパーソンの流出
M&Aで最も避けるべきは、買収の目的である技術やノウハウを持つキーパーソンの流出です。
しかし、統合プロセスでの不適切な扱いや、将来への不安から、こうした重要人材が離職してしまうケースは後を絶ちません。
人材こそが企業価値の源泉である以上、その流出は買収の意味を根本から失わせます。
【ソフトウェア開発会社の事例】
あるソフトウェア開発会社が買収された際、統合後の処遇に不満を持った複数の主力エンジニアが同時期に退職しました。
彼らは買収の目的だった特定システムの開発ノウハウを持つ中心人物でした。
買収側は「マニュアルがあれば誰でもできる」と考えていましたが、実際には彼らの暗黙知に依存している部分が大きく、システムの保守・発展が困難になってしまったのです。
特に、買収側が新たな事業領域に進出するために売手企業を買収した場合、その事業を支える人材がいなくなることで、買収自体の意義が失われてしまいます。
中小企業では特に、事業自体が従業員個々のパフォーマンスに頼っている場合が多く、キーパーソンの流出は致命的なダメージとなるのです。
それには、特にキーパーソンとは事前に処遇についての話し合いは十分に行い、納得を得ておくことが重要です。
まとめ―M&Aの成否は「人」が握る
M&Aの成功は、財務的な数字だけでは測れません。
どんなに理論上優れた戦略も、それを実行するのは現場の従業員です。彼らが新しい組織に希望を持ち、能力を発揮できる環境があって初めて、M&Aの真の価値が実現します。
最新調査では、M&A発表時に4割もの従業員が転職を検討し、3年以内に4人に1人(25%)が実際に退職しています。10年前の調査より状況は悪化しており、従業員ケアの重要性はますます高まっています。
「会社の方向性が見えない」「給与・賞与への不安」といった不透明感が、従業員の離職を促す主要因となっているのです。
従業員の心理に寄り添い、透明性の高いコミュニケーションを行い、キャリアの展望を示し、文化の多様性を尊重する――これらは単なる「人事施策」ではなく、M&Aの成否を決める戦略的要素です。
中小企業のM&Aでは、大企業以上に従業員一人ひとりの影響力が大きくなります。
キーパーソンの離職が即座に事業継続に影響を及ぼし、現場の士気低下が直ちに業績に反映されます。
だからこそ、人を大切にする統合アプローチが不可欠なのです。
経営統合は、数字の統合ではなく、人と人の統合です。この原則を忘れたM&Aは、どれほど理論的に優れていても失敗します。
逆に、従業員を中心に据えた統合は、当初の想定を超える価値を生み出す可能性を秘めています。
これからのM&Aには、「人」を最重要資産として捉える視点が、これまで以上に求められているのです。
執筆者 経営支援・WEBコンサル・WEBコンテンツライター 白河 真琴
中小企業の経営のサポートの経験を活かしながらコンテンツライターとして活動中。
自身の会社のM&Aの経験から企業法務やM&A関連の執筆を中心に行っています。
業界特化のM&A 「エム アンド エー オール」