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半導体・製造 2025.10.29 配信

浮上のタイミングを逃した日産の現在
~2つの工場の閉鎖を決定した日産の背景には何が?~

はじめに


日産自動車が国内の主力製造拠点である追浜工場と、子会社日産車体の湘南工場の生産終了を発表しました。
販売台数が落ち込む中で拠点を整理し、生産を吸収に移管する計画。国内5工場を3工場に集約することでコストは15%程度削減される見通しです。

業績不振を受けて2025年3月に内田誠社長が退任、イヴァン・エスピノーサ新社長をトップとする新たな布陣で日産は経営改革を進めています。
サッカーチームの横浜F・マリノスの売却観測も浮上し、日産スタジアムの命名権も検討し直す考えを示しました。
資産整理や本業以外の事業整理に余念がない日産ですが、凋落した背景には何があったのでしょうか。

1. 日産の三重苦がもたらした影響


不幸なことに、日産の業績不振は「ゴーン氏の独裁とルノーとのいびつな資本関係」「商品力・ブランド力の弱体化」「業界変革への対応の遅れ」という三重苦が重なった結果といえます。

かつての「技術の日産」の復活には、長期的なビジョンと持続的な投資、そしてブランド再構築が不可欠です。
ここでは日産の三重苦について解説していきます。

日産の三重苦がもたらした影響

1.1 ゴーン氏による独裁体制といびつな資本関係による副作用

日産が直面した業績不振の大きな要因は、かつての「ゴーン改革」に端を発しています。
1999年、経営危機に瀕した日産を救済するためにフランスのルノーから送り込まれたカルロス・ゴーン氏は、大胆なリストラや不採算部門の整理、購買コストの大幅削減などを断行し、短期間で業績を黒字化させました。

「日産リバイバルプラン」の真実

この改革は「日産リバイバルプラン」として称賛を浴び、ゴーン氏は経営者として世界的な名声を得ました。

しかしその裏側では、過度なコスト削減が長期的な成長力を削ぐ結果を招きました。
研究開発投資や新車種開発の抑制、人材育成の遅れが目立ち、ブランド力の低下を引き起こしたのです。
また、短期的な利益を最優先する方針から、販売奨励金(インセンティブ)に頼った販売手法が定着。特に北米市場ではフリート販売(法人向けの大量販売)を多用し、販売台数を確保する一方で収益性を損ないました。

ルノーとの不均衡な資本関係

さらに、ルノーとの資本関係の不均衡も経営判断を難しくしました。
ルノーに対して日産が高い利益貢献を続ける一方で、経営の主導権を十分に握れない構造的問題が残されました。ゴーン氏逮捕後には経営の空白が生まれ、組織の混乱が長期化したことも日産の競争力低下に拍車をかけました。

ルノーは日産の株式を43%超保有する筆頭株主でしたが、日産のルノーへの出資は15%に留まっていました。日産はルノーに対する議決権がなく、「いびつな資本関係」と長らく問題視されていました。日産側が資本関係の改善に向けて何度も交渉しようとするものの、対等出資が認められたのは2023年に入ってからでした。業績悪化に伴うルノーの出資は、一時的に日産を救うことになった一方で、実質的な経営権を長きにわたって掌握されるという負の側面も浮かび上がらせました。このエピソードは、資本提携の難しさを如実に物語っています。

1.2 商品戦略の失敗とブランド魅力の低下

日産の業績不振は、商品戦略の迷走にも起因しています。

トヨタやホンダがハイブリッド車で大きな市場シェアを確立したのに対し、日産は電気自動車(EV)の「リーフ」で先行したものの、その後のラインナップ拡充やモデルチェンジの遅れが響きました。EVの技術力を持ちながら、世界的な電動化の波を十分に活かせなかったのです。

その後、EVはアメリカのテスラがブランド力で市場を席捲し、BYDを始めとする中国勢が安さを武器にシェアを高めました。この分野で先行していた日産は、勝ち筋を見出すことなく存在感を失ってしまったのです。

また、主力セダン市場が縮小する中でSUVやクロスオーバーへのシフトも後手に回りました。

デザインの魅力やブランドストーリーに欠ける車種が多く、北米市場での競争力は低下。結果として、値引き頼みの販売に依存する悪循環に陥りました。さらに、品質問題やリコール対応の遅れが顧客からの信頼を損ない、日産車のブランドイメージを押し下げました。

国内市場でも状況は厳しく、軽自動車分野ではスズキやダイハツに劣後し、普通車ではトヨタに大きく差をつけられています。

かつて「技術の日産」と呼ばれたイメージが薄れ、消費者にとって“選ばれる理由”が希薄になったことが、販売不振の根本原因となりました。

1.3 グローバル市場の変化と経営対応の遅れ

日産の業績不振は、外部環境の変化に十分に対応できなかった点にも表れています。

米中貿易摩擦や為替変動、新興国市場の景気減速といった外部要因に加え、自動車業界全体で進む「CASE」(コネクテッド、自動運転、シェアリング、電動化)の大変革に乗り遅れました。

トヨタが巨額の投資で自動運転や水素技術を推進し、ホンダがGMなどと連携してEV開発を加速させる中、日産はパートナー戦略を十分に描けず、独自の技術を市場で展開しきれませんでした。

加えて、固定費削減を優先する経営判断により、新しい領域への投資が後回しにされ、結果として将来の収益源を生み出す基盤が育たなかったのです。

さらに、コロナ禍による販売不振や半導体不足、原材料高といった逆風も直撃しました。これにより日産は赤字決算を余儀なくされ、構造改革として工場閉鎖や人員削減を実施しましたが、その過程で社内の士気低下や販売網の弱体化も進みました。

2. 日産とホンダの経営統合はなぜ破談した?


業績不振に悩まされる日産に救いの手を伸ばしたのがホンダでした。

両社は国内での販売規模こそ大きいものの、グローバル競争においてはEV投資や自動運転領域で遅れが指摘されていました。

日産はルノーとの資本関係がなお不安定であり、EV「リーフ」で先行したにもかかわらずその後の展開に苦戦。ホンダは独自路線を歩んできましたが、GMとの提携だけでは規模の壁を打破できない状況にありました。こうした中、両社が国内メーカー同士で協業すれば、規模の経済を発揮しやすく、トヨタに対抗する一角を形成できるとの期待が市場にも広がっていったのです。

2.1 交渉過程に潜んだ思惑と利害対立

日産とホンダは、水面下の交渉を進めました。
EV用プラットフォームの共通化や電池調達の連携、さらには次世代自動運転技術における共同開発など、提携するメリットは多いにあると言われています。
開発コストを圧縮し、欧米や中国勢に対抗する狙いもありました。

日産とホンダの思惑の違い

しかし、交渉の中で浮き彫りになったのは両社の企業文化と戦略の違いです。
日産はルノー・三菱との「アライアンス」の枠組みを維持したままホンダと組む意向を示したものの、ホンダ側は「日産がルノーからどの程度自由に動けるのか」という点に強い懸念を抱いていました。
ホンダにとって、フランス政府が一定の影響力を持つルノーが背後に存在する構造は、意思決定の透明性や経営の独立性を脅かすリスクと映ったのです。

日産とホンダの思惑の違い

また、両社の強みと弱みのすり合わせも難航しました。

日産はEVの量産経験を活かしたい一方で、ホンダは燃料電池やハイブリッド技術を中核とする独自路線を守りたいと考えていました。

そして、日産が再建途上にあることが最大の障害となりました。
度重なるリストラや赤字決算を経て信頼を回復しきれていない状況では、ホンダにとって「不安定なパートナー」と見えたのです。
ホンダは日産に対して、直近の営業利益を3倍に引き上げることを示唆するなど、高い要求を突きつけました。
これには大規模なリストラが必要で、日産の経営陣は経営統合に尻込みするようになります。

2.2 破談の背景と日本の自動車業界への影響

破談の背景と日本の自動車業界への影響

日産がホンダと提携するか!?というニュースに日本中が湧いてから、一転、「破談」のニュースが舞い込んできました。
その背景には、何があったのでしょうか?

主導権と社風に対する考え方の違い

両社の文化や経営姿勢の相違だけでなく、「どちらが主導権を握るか」という力学もありました。
自動車メーカー同士の統合・提携では往々にして対等合併は難しく、どちらかが吸収される構図を避けられません。
ホンダは「独立性」を守ることを最優先とする社風であり、日産が抱えるルノーとの資本関係や再建リスクを背負い込むことには強い抵抗を示したのです。

トヨタ一強継続に

破談のニュースは、日本の自動車業界に大きな示唆を与えました。
トヨタがスバルやマツダ、スズキと資本提携を拡大しているのに対し、日産・ホンダ連合が成立していれば国内再編のもう一つの軸となり得ました。
結果として、国内メーカーの勢力図はトヨタ一強がより鮮明となり、日産とホンダはそれぞれ独自に再建・成長戦略を模索せざるを得ない状況に追い込まれました。

日産・ホンダそれぞれの現在は?

現在、ホンダはGMやソニーとの協業に力を入れ、EVやソフトウェア事業を進めています。
一方の日産は、ルノーとの関係見直しを進めつつ、アライアンスを軸にした開発体制を再構築中です。2025年に両社はアライアンス契約の改定で合意。相互出資の最低限比率を現行の15%から10%に引き下げると発表しました。
財務強化が必要な日産が、株式売却への道筋をつけたことになります。
今回の破談は、単なる企業間交渉の失敗ではなく、日本の自動車業界全体が直面する“選択と集中”の難しさを象徴する出来事といえるでしょう。

日産とホンダの経営統合は、事業領域が重なるというだけでは交渉が上手く進まないことをよく示した事例です。M&Aは企業文化やビジョン、業績改善に向けた方向性など、多角的な視点のすり合わせが必要になります。

3. 日産の「Re:Nissan」経営再建計画の全貌


日産は2025年5月に経営再建計画「Re:Nissan」を発表しました。

日産の「Re:Nissan」経営再建計画の全貌

“再び日産を立て直す”・“再出発する”という二重の意味が込められており、短期的な黒字化と中長期的な技術競争力の確保の両立を狙ったものです。
特に、台数偏重からの脱却と「選択と集中」による収益体質への転換が柱とされました。
この計画は4年間(2020~2023年度)を対象に掲げられ、「持続的成長への基盤を再構築する」ことを最大の目的としています。

3.1 「選択と集中」の戦略 ― 固定費削減と地域・商品再編

Re:Nissanの最大の特徴は、従来の日産が掲げていた「拡大戦略」から180度転換し、「選択と集中」による収益重視戦略へと舵を切った点です。

Re: Nissanの特徴】

・固定費削減

まず、固定費削減です。車両生産工場を2027年度までに17から10へと減らし、国を除く生産能力350万台を250万台にまで抑制。
工場閉鎖や人員削減を伴いながらも、稼働率を従来の約70%から100%へ引き上げ、収益効率を高める方針を示しました。
これにより、年間約2500億円規模のコスト削減を目指します。

・地域戦略再編

次に、地域戦略の再編です。グローバル全市場を追うのではなく、収益性が見込める日本・北米・中国に注力し、それ以外の地域ではアライアンス活用や撤退を進めました。
欧州については、ルノーとの分業を強化することで自社負担を軽減。新興国市場では無理なシェア拡大を避け、限られた車種に絞ることで収益を守る体制を構築しました。

・商品戦略

商品戦略でも、「魅力あるコアモデル」に集中。SUVやEV、クロスオーバーといった収益性の高いセグメントに投資を集中します。

・販売不振車種・セグメントの撤退

反対に、販売不振の車種やセグメントからは撤退し、ラインナップを整理。特に日本市場では、軽自動車EV「サクラ」やクロスオーバーEV「アリア」を象徴的な戦略商品と位置づけ、ブランド刷新を狙います。

このように、Re:Nissanは「拡大よりも効率」「台数よりも利益」を明確に打ち出した再建計画でした。

まとめ


日産は追浜工場と湘南工場の閉鎖を決定し、経営再建に取り組んでいます。
業績不振の背景には、ゴーン氏による過度なコスト削減とルノーとの不均衡な資本関係、EV市場での出遅れや商品戦略の失敗、CASE対応の遅れという三重苦がありました。

ホンダとの経営統合交渉も、企業文化の違いやルノーとの関係への懸念から破談に。
もしホンダとの統合が成し遂げられていたなら、自動車業界の歴史は大きく塗り替えられていたことでしょう。

執筆者 コンサルタント/ライター フジモト ヨシミチ

外食、小売り、ホテル業界を中心に取材を重ねてきた元経営情報誌記者。
現在は中小企業を中心としたコンサルティングと、ライターとして活動しています。
得意分野は企業分析とM&Aです。